『知の体力』とは何か?

いわゆる随筆というのはなぜ書かれるのだろうか?

誰が読むのだろうか?

こういう本は、恩師や先輩が勧めるものかもしれないけれど、私の場合はジャケ買いで偶然でした。前提知識なしに「知の体力」といったタイトルから読み進めていくと、字面からだけではなく、文章を書いた永田さんという方への興味からも脳が刺激されるという経験をしました。

細胞学者として研究の先端から得た「知識」に関する気づきやら、海外で生活しながら研究することから得られた「文化」についての考えやら、歌人として文学作品を作りながら感じた「創造」への思いが、一件ランダムに綴られています。しかしランダムでありながら、それは和歌のリズムを持っているのかわかりませんが、何とも説明できないけれど沁みてくるんです。

気が付いたらたくさんの付箋がついていました。

『知の体力』からの名言

運動をするにはそれなりの基礎体力をつけなければならないのと同様に、これから何が起こるかわからない想定外の問題について自分なりに対処するためには、それなりの体力が要求される。私はそれを「知の体力」と呼んでいる。

今日の一言
知力と呼ばずに「知の体力」と呼ぶところがいいのかも

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