『知の体力』とは何か?

いわゆる随筆というのはなぜ書かれるのだろうか?

誰が読むのだろうか?

こういう本は、恩師や先輩が勧めるものかもしれないけれど、私の場合はジャケ買いで偶然でした。前提知識なしに「知の体力」といったタイトルから読み進めていくと、字面からだけではなく、文章を書いた永田さんという方への興味からも脳が刺激されるという経験をしました。

細胞学者として研究の先端から得た「知識」に関する気づきやら、海外で生活しながら研究することから得られた「文化」についての考えやら、歌人として文学作品を作りながら感じた「創造」への思いが、一件ランダムに綴られています。しかしランダムでありながら、それは和歌のリズムを持っているのかわかりませんが、何とも説明できないけれど沁みてくるんです。

気が付いたらたくさんの付箋がついていました。

『知の体力』からの名言

運動をするにはそれなりの基礎体力をつけなければならないのと同様に、これから何が起こるかわからない想定外の問題について自分なりに対処するためには、それなりの体力が要求される。私はそれを「知の体力」と呼んでいる。

今日の一言
知力と呼ばずに「知の体力」と呼ぶところがいいのかも

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『WHAT IS LIFE? 生命とは何か?』

人生の目的は何だろう? ―この問いは多分、誰もが一度は持ったことのある疑問ではないかと思うのです。

私たちはどこから来たのか? ―この問いも、どこかで持つことがあるとは思います。

この2つの問いに近いけれど、意外に抱いたことのない問いが「生命とは何か?」というものではないでしょうか?

少なくとも、私は本屋でこのタイトルを持つまで疑問もなく過ごしてきました。確かに最近ではAIやロボットといった命を持たないけれど、自律的で「認知」に近い能力を持つものが誕生しているし、ウィルスが身近となり、生命と物体の中間の素性をもつ病原体は「生命」と呼べるのだろうかという疑問は持たなかったわけではありません。

しかしこの本を読むと、生命は単に「生きている」と私たちが感じる刹那的な印象をはるかに超越して、地球に生命が誕生して以来、化学的、物理的、情報的に一つの歴史を刻んできたことがわかります。

DNAという化学物質は、情報を蓄えることに便利なだけでなく、進化の基本となる複製や複製ミスが適度に発生します。これにより、私たち人間も元はウィルスや単細胞動物から進化し高度な(とは必ずしも言えない行動を取るけれど)知性を備えるまでになりました。その神秘と必然についてノーベル賞を受賞したポール・ナース氏が解説しているのがこの本です。

「生命とは何か?」という質問の答えだけ知りたいなら、ナース氏によると、生命とは以下の3つの原理が備わっているものだそうです。

1.自然淘汰を通じて進化する能力

2.「境界」を持つ物理的な存在

3.生き物は科学的、物理的、情報的な機械である

しかし、この本は答えを知るために読むものではないな、と感じました。大昔に同じくノーベル賞受賞した朝永振一郎の本を読んだときのような科学への愛、科学を通して心理を追求する求道者の愛を感じました。さらに、生命の神秘を再確認することができる一冊です。

『WHAT IS LIFE? 生命とは何か?』からの名言
われわれは、みな、生存競争を生き抜いた偉大な同志だ。細胞分裂という途切れのない鎖を遡り、最古の果てへと繋がる、計り知れないほど広大な、たった一つの家系の子孫たちなのだ。
今日の一言 人類みな兄弟。生き物みんな同時発生。
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